作品名「アユタヤ 夢の跡」




53.0x41.0cm
キャンバス油彩
2018年9月

タイに行ったのはいつもの年より寒さの厳しかった2018年の2月半ば、熱帯のタイでは乾期から暑期に移る時期でした。

インフルエンザが流行っていて、うかつにも直前に罹ってしまい何とか間に合いました💦

タイの太陽は日本よりも高い位置に上りワイルド、太陽光線のパワーも強烈です。湿度も高く大気はむわーっとした感じ。寒い日本から来て病後の身にはこの蒸し暑さは半端なかったです⚽

今回のタイ旅行のメインテーマ:アユタヤ遺跡は1350年から417年間にわたって繁栄したアユタヤ王朝の壮麗な寺院群や多くの仏像などから成り立っています。美しい仏塔(チェダイ)はスリランカ様式、クメール様式、スコータイ様式と各王朝によって特色があります。

この絵では奥のチェダイがスリランカ様式、その右がクメール様式でしょうか。

アユタヤ遺跡のあるアユタヤ駅まではバンコクからタイ国鉄の普通列車3等(冷房なし)で約2時間。地元のタイ人やバックパッカー達が多く、ローカル鉄道の雰囲気たっぷりの旅でした。

遺跡巡りには自転車の機動性を考えレンタサイクルを使うことにしました(暑くて疲れた割にあまり周れず。座っていれば連れて行ってくれるトゥクトゥクが良かったかも( ;´Д`)

かっと照りつける日差しの下少し走って、遺跡の近くの涼しいカフェでタイのシンハービール🍺(すっきりとした味でタイ料理には合います)とパッタイ(タイ風焼きそば)等で昼食にしました。

昼食後、切り落とされた仏頭が菩提樹に覆われているので有名なワット・プラ・マハタートと近くのワット・プラ・シー・サンペット、ワット・ラチャブラナの3遺跡を観ました。

その他の寺院の遺跡や日本人町跡も訪れたかったのですが、強い日差しと蒸し暑さに気持ちが挫けました😞

遺跡は隣国ビルマからの度重なる侵略を受けて所々破壊され、仏像は頭部、腕などを切り落とされていて歴史の悲哀を感じました。

アユタヤ王朝は日本とも関係の深い王朝で、戦国時代に主君を失い流れてきた浪人や禁教によって逃れてきたキリシタンなど1000~1500人もの日本人が自分達の町で暮らしていました。頭領の山田長政は武略に長けていて貴族階級まで上り詰めました。

14世紀半ばから400年以上もの間、この地はアジアで最も繁栄し、ポルトガルやオランダ、日本などの異国の人々が行きかい、賑わいにあふれていました。

王朝が途絶えてから250年、当時の生活の痕跡はほとんど消えてしまい、遺跡からかっての街の様子や賑わいを思い浮かべることは出来ませんでした。遠い昔のことが夢のようです。

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